書道文化と世界を学ぶ博物館
巌谷一六(1834~1905)は、名は修、字は誠卿、一六、古梅、金粟などと号した。近江水口藩の侍医の家に生まれ、幼時から学を好み、明治維新後、政府に仕えて貴族院議員となった。書は初め、中沢雪城につき巻菱湖風を学び、ま [...]
多宝塔感応碑は、顔真卿(709~785)44歳時の楷書作品。菱湖は若かりし頃、市河米庵が好んで学んだ顔真卿ではなく、欧陽詢を進んで学んだ。顔真卿は40歳代になってから学び始めたという。雪城がその頃に弟子入りをしたと考え [...]